私なりの「道をつくる」ということ
まつもとりーさんのツイートにハッとした。
自分に向けた、自分のためのメモとしてこの時の気持ちを整理しておく。
エンジニアのスキルを上げるための実績を考えた時に、昔はとにかく課題解決型だった自分が、なぜあの人みたいに高いスキルにならないのか悩んだ時に、細かい課題解決の量をこなしても技術的な投資から得られるリターンには遠く及ばなくて、それを意識し始めた時から自分が大きく変わった感じがある。
— 松本 亮介 / まつもとりー (@matsumotory) 2019年1月7日
技術的な投資とは、例えば取り組み単体ではすぐにバリューにならないし、人も注目してくれないけれど、この取り組みを発展させて行った先に大きなリターンがあるだろうといったような視座であるし、同時にそれは楽しみながら継続しないとなかなかできないことでもある。でもそのリターンはとても大きい
— 松本 亮介 / まつもとりー (@matsumotory) 2019年1月7日
地道に学びながら、その上で楽しい、好きなことをなるべくやれるように自分を誘導していくことが最終的に大きなバリューを生み出せるようになると思えるし、このコスト感や投資感覚はエンジニアであるからこそ持っておくと良いと思える。そのためにも色々なことに共通する原則を学ばないといけないね。
— 松本 亮介 / まつもとりー (@matsumotory) 2019年1月7日
ハッとしたところ
「技術的な投資」という表現とその定義の部分。
何故ハッとしたか
仕事をしていて、技術的なことを学び実践して、エンジニアとして成長したという実感を持つことができないでいた。
それは何故かということを考えたときに、学習の方法が非効率だからだとか、アウトプットを残すことをせずに振り返りを行っていなかったからだと考えていた。
つまり、学びの方法論に固執していた。
でも、そうじゃないという直感を得た。
まつもとりーさんの言う「技術的な投資」というものを持っていなかったからだと思えた。
私なりの「技術的な投資」とは何か
ここからは私なりの「技術的な投資」について考える。
まつもとりーさんの発言の本意から離れてしまうかもしれないので、私の言葉として「世界観」と表現する。
「世界観」とは何か
恐らく、本来の言葉の意味*1とは異なると思うのでここで定義する。
言い換えると「私がどんな世界を、どんな風景を、どんな光景を見たいのか」、「私が実現したいことは何か」ということ。
理想とか、理念とか、そういったあるべき姿でも良い。
「世界観」があると何が変わるか
創り上げるために必要な技術というものを文脈の中で捉えることができる。
技術を単独で習得していった先にその世界が実現される、ということではなく、実現したい世界を創り上げるために技術を習得するということ。
これは技術を手段と捉えることではあるものの、技術を「単なる」手段*2と捉えることではない。
技術を文脈で捉えることの意義
文脈=「自分の物語」を作り出すことができる。
「 私が実現したいことはこういうことなんだ。これを実現するとこういった良いことがあって。ただ、それを実現するにはこういったxxxとxxxとxxxといった技術が必要で。」というように。
これは自分の経験から学んだことは忘れにくいということと似ている気がする。
「道をつくる」ということ
私の今年の目標に『自分なりの「道をつくる」』というのがある。
今まで書いてきたことは、自分なりの「道をつくる」ことの第一歩じゃないのかと思っている。
最後に
技術というものを単独で捉えるのではなく、もっと大きな枠組みの中で捉えることが大事なのではないかという気づき。
*1:https://kotobank.jp/word/%E4%B8%96%E7%95%8C%E8%A6%B3-86660
*2:手段という言葉を使っているが、目的と手段のどちらが重要であるかということではない。