re:annkara

日々学んだことを書き留めておく。

【雑記】「質量への憧憬」にいってきた。

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落合陽一氏の写真展へ行ってきた。

写真展というものへ行ったのは生まれて初めてであり、また芸術的な催し物にも縁のない人生であるけども、落合氏がどんなふうに世界を見ているのか、興味があったので行ってきた。

正直、落合氏の伝えたいことの百分の一も理解することはできなかったけども、以下の説明には共感を覚えた。

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時間というものは実際には目には見えないものである。しかし、水という実体を得ることにより、時の経過を波という形で認識することができる。

時間というものは当たり前の存在であるが、それ自体を認識することは出来ない。時間を、また別の質量を伴ったものを通してのみ認識することができる。

静かな波を見て心が落ち着くといった心の動作というのは、漠然と過ぎゆく時間というものを実感を伴って感じることができるからなのではないか。

写真や絵画、また他の表現物というのは表現者の意図というものを少なからず保持しているものだと思っている。

書物は文字という共通のプロトコルを利用して意図を読者に伝えるものであるが、写真や絵画といったものは写されたもの、描かれたものを通じて意図を伝えるものであるから読み取り手側の理解力といったものが試される気がする。

そういった意味では、表現されたものを理解するだけの知識を身につけることはこの世界をもっと認識することができることに繋がって、もっと面白く見えるんじゃなかろうか。

目の前の理解しやすいこと、面白いこと、それだけに囚われるのではなくて、この世界を認知できるための素養というのを鍛えていく。

きっとそういう行為も面白いと思うし、また、自分も表現する側になったとしたら、それはそれで面白いのかもしれない。