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日々学んだことを書き留めておく。

【読書メモ】有意義な生き方

なぜこの本を読もうと思ったか

「人生の意味」だとか「人生の目的」なんてものは存在しない。人間は生まれてきて、死ぬだけだ。
そうだとしても人は生きていかねばならず、生きる限り自分の人生に何かしらの意味や目的を見出さないと、生きること自体が辛くなってしまう。

「自分の道」というものを見つけられた人は幸福そうに生きている。
自分の道、自分の生き方、人生の指針といってもいいかもしれないが、そういったものが自分の中にあるのとないのでは自分が幸福であるかどうか決めることは非常に難しいと感じている。

自身の生き方を他者の考えに依存させるつもりは全くないが、考えるヒントを手に入れたいと思いこの本を手に取った。

どんな本か

著者の方はスリランカ上座仏教(テーラワーダ仏教)長老であるため、釈迦の唱える「有意義な生き方」についてさまざまな面から説明している。

仏教の目的とは、「苦しみを知り、苦しみをなくすこと」であり、直接的に明言はしないがつまりは「幸福な生き方をする」ということである。

この本は幸福に生きていくために、何をすべきか、何をすべきではないかということを、釈迦の教えに沿って教えてくれる。

「有意義な生き方」とは

有意義の辞書的な意味としては、「意味・価値があること」だ。
本書では、「幸福になり、苦しみがなくなる言葉、生き方、思考、実践のこと」としている。

幸福であること

幸福とは何か??と問われたさいに、以下のことを思い浮かべるのではないか。

  • 財産を得ること
  • 収入がたくさんあること
  • 家族がいること
  • 健康で長生きできること
  • 世間から認められること
  • 権力をもつこと

これらの幸福は「世間の望む幸福」である。確かに、これらのことは人々に喜びをあたえてくれるが同時に、悩み、苦しみ、落ち込み、堕落、失敗、不幸、罪などのおまけもついてくる。

お金を得ても、使ってしまえばなくなるし、知識を得てもいつかは忘れてしまう。得たものに対して「執着」してしまうと、そこには必ず負の感情が起きてしまう。その時に人間は苦しんでしまう。

「仏教の説く幸福」は「世間の望む幸福」を否定せず、幸福は理性に基づいて真剣に努力することによって得られるものとしている。つまり、怒り・憎しみ・嫉妬・貪欲・怠け・無知といった感情を抑え、理性に基づいて努力することによって幸福が得られると。

幸福をどこにおくか

幸福を感じるのは身体ではなく、心だ。身体には限界が存在するが、心には限界はない。
幸福を自分の外に求めると、際限がなくなるし、そもそもその幸福は得られないかもしれない。自分の外にある幸福を自分でコントロールすることはできない。

自分の心を成長させ、幸福を自分の中に置くということ。

まとめ

本書を読んでいて線を引いたところやメモに残した部分は結構あるのだけど、それを自分の中で整理して文章に落とし込む段階でかなり省いてしまった。得られた情報を再構成して文章に落とし込む能力が自分にはまだまだ足りないのだと痛感している。

この本を読む目的として、生き方のヒントを得たいとしていたが、個人的には最後の「幸福を自分の中におく」ことが非常に重要だと感じている。人生に目的はないと自覚していたものの、どこかで自分の外にそういうものを追い求めてしまっていた自分に気づいた。

自分を成長させるということ。結果として周りを良くしていくということ。目標を立て、目的を作り、日々努力していくということ。そういったふうに生きていきたいと思った。